先日、叔母が(おかんの妹)おかんの話しがしたいということで、話してきました。
叔母との会話の中で、自然と出た言葉が
「おかんの魂は、役目は終わったと納得してるやろ。でも、人間としては孫の成長や俺達ともうちょっといたかったやろな。」
魂の考え方?と、人間としての考え方を分けることで、自分に納得させてると思います。
おかんは自分のためではなく、家族に対しての事は強欲でしたからね。
家族を守ることに必死でした。
その分、親離れ子離れができてなかったので、魂的には僕達家族の成長を願うのであれば、おかんとしての役目を終わらさなければならなかったのではと・・・
人は自立するために生きてるのではないかと思います。
自立のためには、時には死というものが必要とされる側面があるのではないかと・・・
僕達家族にとっては、多分、おかんの死というのは魂的愛情表現だと思います。
これは、おかんが元気な時から、なんとなくのニュアンスで感じてたことです。
実際に事が起き、日が経つことで納得させられたような感じです。
あくまでも、これは僕の考えであり、父親や妹とは違う考えだと思います。
ただ、死の向こう側にあるものを見つけて納得したいから思ってるだけかもしれません。
答えは、僕がおかんのところに行ってからでしょうね。
おかん、迎えに来てくれるかな・・・
サポートメンバー 剛成