今日は僕の誕生日。
44年前におかんは僕を産んでくれた。
初産の長男。
しっかり可愛がってもらった。
よく怒られた。
今、振り返ると愛情しかなかったんだなと・・・
この愛情がうっとしい時も。
でも、今となっては愛おしい。
僕が小学校3年生の時、クラスメイトにいじめられてた事に一番に気づいてくれたのがおかん。
僕は親に言わなかったけど、どうやら態度がおかしかったらしい。
そして、4年生の冬、僕はドアに小指を挟んで落としてしまった。。。
慌てておかんは落ちた小指を拾って医者に連れてってくれた。
だけどくっつかず・・・
おかんはその時、神を憎んだらしい。
でも、あとからそれは違った事にきづいたと・・・
僕が
「指が全部挟まりそうになったのをとっさに横にしてた手を縦にして、小指だけですんだ」と言ったと聞いて、
おかんは神様に謝り感謝をしたと・・・
中学生の時は、あまりにも野球の練習がつらく、うつの状態になっている僕を見かねて
「もう野球やめたら」と・・・
でも、僕は「甲子園に行きたからやめん」と。
だから勉強がおろそかになり学校の先生からは
おかんに「野球をやめさせて下さい」と言われたけど、
おかんは「やめさせません」と言ってくれた。
おかげで高校三年生の夏「甲子園」に出場できた。
でも、おかんは仕事で見に来れず・・・
テレビで少し見ただけ。
あと一回勝てば見に来れたけどおかんの本音は
「生で見たくなかった」と・・・
それから僕は勉強ができないけど野球のおかげで大学へ進学。
だけど、初めから僕は大学をやめるつもりだったから、おかんには「お金がもったいなから行かへん」って言ったら
おかんは「お金は捨てたと思うから行きなさい」と。
そのおかげで大学での友達ができて、今でも仲間。
やっぱり一年で大学はやめましたけど・・・( ̄▽ ̄;)
そして、大阪へ・・・
僕は小指がないことがコンプレックスで、毎日バンドエイドをしていました。
大阪に居た頃、仕送りの中に必ず大量のバンドエイドが・・・
帰岡後、家業を継ぐにあたって僕の反発がありました。
だけど、おかんは何も言わずにずっと待ってくれて、いろんな事に気づけるようになった今があります。
すべてにおいて愛情を与えるだけだったと思います。
今、いろんな方に「ありがとう」と言ってもらえる自分でいられるのは、おかんが僕を産んでくれたからです。
そして、愛情を求めるのではなく、与え続けてくれたからです。
おかんのように愛情を与えるだけのことはできないけど、
人様に「ありがとう」と言ってもらえるようにがんばります。
今日は僕が「おかん、産んでくれてありがとう。」
大丈夫。大丈夫。
サポートメンバー 剛成