僕にとってのおかんはドラえもん。
情けないのび太の横で安心感を与えてくれるドラえもんのように・・・
必ずおかんは傍にいてくれてました。
困った時にはいろんなアイテムを出してくれるんです!!
これもおかんがいなくなって気づいたこと。
カタチある存在の時には気づかないものです。
いなくならないとわからないことは、これは人間の性だと・・・
だから生きているうちに、どれだけ無償の愛をばらまくことができるかが・・・
それが遺された家族の支えに変わるんだとおかんに教えてもらいました。
元気な時にはその支えのありがたさに気づかないものです。
僕とおかんの距離は近過ぎました。
近過ぎた分、悲しみの深さも深く・・・
でも、その悲しみの深さと愛情の深さは=だという事もね。
気づかされました・・・
長男として幼少期の頃は厳しく育てられ、反抗期の時はそれが疎ましく、青年時代は親が恥ずかしく、中年になり感謝の入り口に立ちました。
今となっては叩かれた頬が懐かしくて、汚い言葉を浴びせた反抗期を反省し、青年時代の距離感には愛おしさを感じますね。
すべてはいなくなってから心で理解できたことです。
今も傍にいてくれてる事を信じてますが、どこかにいないかと影を捜してしまいます。
一瞬横切った影が「おかんかも・・・」と。
僕とおかん。
のび太とドラえもん。
44年間、最期までそんな関係でしたね。
ありがとうな。
おかん。
剛成